【レポート記事】「みゃくみゃくとつなぐ展 ~万博とひらく未来~」関連イベント「万博とひらく未来 特別トークショー」
【レポート記事】万博とひらく未来 特別トークショー
大阪・関西万博の開幕から1周年を記念し、日本科学未来館にて、「みゃくみゃくとつなぐ展 ~万博とひらく未来~」関連イベント「万博とひらく未来 特別トークショー」の開催されました。トークショーの詳しい内容は、後日未来館公式YouTubeで配信予定です。


朝早くから列ができました
早い方は3時間前から並んでいたそうで、周囲からは「久々に並んだ、まるで万博みたいだね」といった声も聞かれ、期待感が伝わってきました。
私は9時40分ごろに到着し、すでに100人ほどの列ができていましたが、一般の入場者も含まれていたため、余裕を持って整理券を受け取ることができました。

整理券は会場の7階で配布されており、希望する回のものを全て選ぶことができました。



セッション1:こみゃくはどこへ行く?
展示会場の中央には皆さんからの二次創作の「こみゃく」を展示しています。先日、万博協会はデザインシステムの中でも「ID」(通称こみゃく)の二次創作ガイドラインを発表しました。万博のようないわゆる公共プロジェクトで生まれた知財は、どのように残すことができるのでしょうか、私たち市民がどのようにサステナブルに参加できるのかを考えます。

中盤では、先月末に策定されたばかりの「こみゃくのデザインシステム 二次創作ガイドライン」が議論の的となりました。 会場ではほとんどの方がすでにガイドラインに目を通しており、関心の高さが伺えると同時に、クリエイター側が抱く「どこまでが許容されるのか」という不安も浮き彫りになりました。
- デザインシステム「ID」の二次創作ガイドラインを策定(2026.03.30)
- URL:https://www.expo2025.or.jp/wp/wp-content/uploads/260330r2_designsystem-guideline.pdf(PDFデータ:44KB)
水野さんからは法律家の視点で、「こみゃくは丸3つというシンプルなデザイン。そもそも著作権が発生せず、オープンソースのような扱いになるのでは?」という指摘もありました。
また、荒井さんが着用していた「こみゃくがプリントされたシャツ」の是非について、水野さんが「(著作権的に)ダメじゃない?」と冗談交じりに答えると、会場は大きな笑いに包まれました。

登壇者
- 荒井亮氏(株式会社 知財図鑑 共同代表 / 株式会社 Konel 執行役員 / 一般社団法人COMMONs理事)
- 水野祐氏(法律家 / 弁護士(シティライツ法律事務所、東京弁護士会))
- 引地耕太氏(株式会社VISIONs 代表 / 一般社団法人COMMONs 代表理事)
- 岩澤大地氏(日本科学未来館/本展企画担当)
セッション2:万博と未来館 〜お台場・東京は万博の地となりえるか?〜
未来館が立地するお台場は、1996年に予定されていた世界都市博覧会が実現しなかった「幻の都市博」の地と言えます。その後2001年に開館した未来館は、奇しくも今や”ほぼ万博”として話題となっています。周回遅れで「発見された」万博的場所の歴史を紐解きながら、今、東京でどんな博覧会が可能なのかなど、幻の都市博のコンペに参加したタナカノリユキさんを迎え万博そのものを考えます。

世界都市博覧会の歴史
都市博の歴史を紐解きながら、東京で万博を開催するならどのような可能性があるのか議論されました。
都市博 構想から中止までのながれ
- 1987年6月:臨海部副都心開発 基本構想
- 1988年3月:臨海部副都心開発 基本計画
- 推進会議 設置
- 開発面積約448ha、居住人口6万人程度、就業人口11万人程度
- 1988(昭和63)年12月:東京世界都市博覧会 基本構想懇談会 設置
- 企画推進会議 発足
- 1989(平成1)年8月:「臨海部副都心開発推進室」と「東京世界都市博覧会企画推進会議」を統合
- 「臨海副都心開発・東京フロンティア推進会議」設置
- 1989年12月:都庁内に「東京フロンティア推進本部」設置
- 臨海開発調整部:東京テレポートタウン開発を担当
- 事業推進部:都市博の準備・推進を担当
- 1990年3月:都市博主催団体の「財団法人東京フロンティア協会」設立
- 1994年2月:「世界都市博覧会-東京フロンティア」会場計画図 初公開
- (社会背景:1991年 バブル崩壊)
- 1994年9月:前売り券発売開始
- 1995年5月:中止決定
- (社会背景:1995年 阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件)
| 項目 | 内容 |
| 名称 | 世界都市博覧会-東京フロンティア- |
| テーマ | 都市・躍動とうるおい |
| 開催期間 | 平成8年(1996年)3月24日から10月13日(日)までの204日間 |
| 公開時間 | ・3月24日(日)~4月25日(木):午前9時30分から午後8時まで ・4月26日(金)~10月13日(日):午前9時30分から午後10時まで |
| 開催場所 | 臨海副都心「東京テレポートタウン」及び都内の特色ある施設等 *東京テレポートタウンは、東京の臨海部に生まれる7番目の副都心 |
| 推進体制 | ・開催都市:東京都 ・主催団体:財団法人東京フロンティア協会 |
| 来場者想定 | 2,000万人程度 |
世界都市博覧会 会場模型





東京で万博をやるとしたら?
引地さんは、万博において重要なのは開催に至る試行錯誤と、閉幕後に技術やコミュニティが社会へ浸透していく「プロセス」であると述べました。今後開催するならば、準備段階から市民やスタートアップが都市課題の解決に参画し、閉幕後もその成果が更新され続けるような「ビジョンへの道標」となるべきだと提唱しました。
一方でタナカさんは、1970年万博の成功の要因を、戦後復興を遂げた日本の「産業・技術力」への確信と喜びが国民に共有されていた点にあると分析する。ソフト面(文化・アート)の充実だけでは一過性の芸術祭に留まってしまうとし、多額の税金を投じる正当性は、環境、次世代エネルギー、宇宙開発、身体拡張といった「次なる基幹産業」の社会実装にこそあると強調した。
<参考>都市博 入場払い戻しのcm
登壇者
- タナカノリユキ氏(クリエイティブ・ディレクター)
- 引地耕太氏(株式会社VISIONs 代表 / 一般社団法人COMMONs 代表理事)
- 宮原裕美氏(日本科学未来館/本展キュレーター)
セッション3:万博のその先へ 〜未来をどうつくる?〜
万博で生まれ社会に浸透したのは「こみゃく」だけではありません。本展で紹介している心筋シートは製造販売の承認が下り、ミライ人間洗濯機は既に販売が始まっています。このように万博で生まれた無数の創造や関係性を会期とともに終わらせないためにも、どのように社会の中に広がり、更新され続けていくものなのか万博のその先を考えます。


万博で生まれたものは何だったのか
万博が遺した真の価値とは、建設された施設やパビリオンといった「モノ」以上に、そこで巻き起こった「現象」や「体験」にあるといえます。
まず五十嵐氏は、SNSなどを通じて「ミャクミャク」やその派生である「こみゃく」が自発的に拡散された動きに注目しました。このような、ボトムアップで広がっていく「現象」としての面白さは、従来の国家プロジェクトでは類を見ない、新しい価値であったと指摘しています。

また荒井氏は、「体験」がもたらす心の動きを重視しています。万博記念公園でのドローンショーに象徴されるような、「もう一度観たい」「まだ体験していない人を連れてきてあげたい」と人々に強く思わせる根源的な欲求こそが、次代に引き継ぐべきソフトレガシーの本質であると語りました。
さらに引地氏は、会場全体を包み込んでいた「空気感」の重要性を説いています。特定の展示内容だけでなく、大屋根リングという特別な空間の中で、デザインや音楽が相乗効果を生み、訪れる人々をポジティブな気持ちにさせる仕掛けが機能していました。そこでは、ミャクミャクを「御神体」、こみゃくを「奉納」に見立てたような、ある種の祝祭空間が立ち現れていたのです。
落合陽一さんがよく言う「屈強な万博民」と称される熱心なファンたちが、椅子を持参して長い待機列に並ぶことさえも能動的に楽しんでいた姿は、まさに万博が「祭り」であったことの証左です。受動的に何かを与えられるのを待つのではなく、その場にいること、その空気の一部になること自体を謳歌する。そんな前向きな熱気こそが、万博が作り上げた最も象徴的な風景であったといえるでしょう。
登壇者
- 荒井亮氏(知財図鑑/Konel/一般社団法人COMMONs理事)
- 五十嵐正憲氏 (元Web Designing編集長)
- 引地耕太氏(株式会社VISIONs 代表 / 一般社団法人COMMONs 代表理事)
- 岩澤大地氏(日本科学未来館/本展示企画担当)
当日は「重大発表」も!
セッション1の終わりに引地耕太さんから、万博で生まれた文化や創造を、単なる記録ではなく「みんなでつくる未来のつづき」として残す参加・共創型出版プロジェクトを始動し、明日4月13日(月)から、クラウドファンディングが開始することが発表されました!

